Plofiel

 

 

  名倉 花音 Kanon Nagura   
             

  1968年3月27日 富山県生まれ 
 

 


 

私とヒーリングとの出会いは、『ガン』になったことがきっかけ。



たまたま旦那に勧められた人間ドックでガンが発覚。 母、祖父、叔母、従兄。うちの家系はガンのオンパレードだったので、私もいつかガンになるかも・・・といった思いはありました。だから、ガンになったこと事態はさほど驚かなかったのですが、如何せん新婚4ヶ月目。晩婚だし、早く子供が欲しいなぁと思っていた矢先の出来事でした。


母の闘病・死を目の当たりにしていた私は、
手術以外の方法で何とか自分で治したいと思い、色んな可能性を模索。「母の死を無駄にしたくない」「どうしても自分で治したい」そんな思いでいっぱいでした。



そんな時に出会ったのが『セルフヒーリング』



ガンが治るとか、ガン患者が参加したとか、そんな情報は全く無かったのに、これを体得すれば絶対に自分で治せる!と思ったのです。


絶対に治ると信じ、セルフヒーリングに没頭する日々。。。私は頑固な楽天家なので、それなりに鈍感力を発揮していたとは思いますが、それでも腰が痛くなったりすると、「ガンがあちこちに広がっているのでは?」「骨盤に転移してたら、まずいよねぇ」「卵巣は自覚症状がでにくいって言うけど、どうなんだろう?」という思いが頭をよぎったりもしました。

さらに、「新興宗教にはまったんじゃないか」「そんな無駄な事をしている暇にガンが進行するんじゃないか」「手術すれば早いのに」そんな事を言われる事も。。。どれも、私の事を心配するが故の言葉でしたが、そう言われる度に何とも言えない重苦しい気持ちでいっぱいになっていたのを覚えています。

ひとり孤独にセルフヒーリングを続けるというのは、結構しんどいものです。でも、何故か『自分を信じる』という事を貫き通す事ができました。それは、魂の叫びのようなものだったのかもしれません。

過去世で、人々の病を治していたのも影響していたと思うし、亡くなった母もずっと私の事をサポートし続けてくれました。生きていた時より、はるかに身近に感じていた気がします。それは何よりの心の支えでした。

私は、一度しかない人生だったら絶対に自分で納得のいく方法で治したかったんです。誰に何と言われようと、これだけは譲れませんでした。人は死を目の当たりにすると、人間本来の底力が発揮されるもの。自分は絶対に治ると信じ続け、セルフヒーリングに明け暮れていたら。。。



なんと、本当にガンが治ってしまったんです!!!



西洋医学に全く頼らなかったという訳ではなく、検査で科学的に証明できないと家族も納得しないため、数カ月おきに検査にだけは通っていました。

その都度新規の病院へ検査に出かけていたのですが、5回目の検診でようやくガンも異形成(ガンの前段階状態)も認識できずとの診断が!

ヒーリングをしていて、「あっ、ガンが取れた!」という感覚があったし、ガンの重い波動が消えたので、「これは、今度こそ良い検査結果が出るに違いない」と思っていたら、本当にガンが無くなっていたのです。苦節9ヵ月。。。ようやく努力が花開いた瞬間でした。



思いの力というのは本当に偉大! 魂の意志に基づいた決断は、絶対に良い方向へ向かうし、自然と道が開けていきます。

元々自分の為にセルフヒーリングを習っただけだったのに、あれよあれよという間に、どんどん開業へ向かって進み始めていました。

本当に自分でも不思議でしたが、自分の意思とは全く違った次元で事が進んでいった感じなのです。セルフヒーリングのワークショップに参加した当初は、セラピストになりたいとか、開業したいなんて、全く思ってなかったんですから。そう思うと、人生何が起きるかわかりませんね。

高校生の頃から憑依体質に悩まされてきたのも、きっと序章だったのでしょう。その頃から、目に見えない存在がある事は確信していましたから、スピリチュアルな世界に入る事はそれほど抵抗がありませんでしたが、プロとして開業するには、いくつかの難関がありました。でも、それさえも強行突破してしまうほど、どんどん物事が進んでいったのです。

今はガンが治った恩返しの意味もこめて、クライアントさんが一人でも多く、より良い人生を送れるようセッションをさせて頂いております。セッションを受けられた方から、ご家族・友人・知人へとクチコミが広がり、沢山のクライアントさんに来ていただき感謝の気持ちで一杯です。

人間は死ぬまで成長し続けるもの。私はこれからも、クライアントさんと共に成長し続けていきたいと思っています。











【職歴】

・自動車関連メーカー事務 正社員
   生産管理的なお仕事。自分の親世代の方々に囲まれ、色々勉強になりました。

・人事コンサルタント会社 制作(ディレクター) 正社員
   社員教育・人材採用支援や、広告代理業務等をするコンサルティング会社に勤務。
   会社案内・DM・社内報等を企画プレゼンし、超個性的なスタッフ(デザイナー・ライター・カメラマン)と制作物を創る仕事をしてました。
   クライアントさん(経営者の方々等)と色々交渉しながら仕事をするのが楽しくて、職歴の中では一番長い(7年)です。

・司会業
   副業として、土・日・祝日は司会を5年位やってました。
   結婚式・謝恩会・祝賀会・発表会・新年会等、特に結婚式は500組位経験。
   県外の会場がほとんどだったので、会社が終わってから、片道1時間半かけて会場へ行き、金・土宿泊。
   日曜日の夜帰宅して、月曜日からまた仕事! 若かったから出来たんですね。。。

・お役所で受付・交付担当 臨時パート
   某省地方局で、窓口的なお仕事をしてました。初めて残業のない職場を経験!
  
・○○○○共済でお馴染みの共済組合 事務 臨時職員 
   1日中パソコンに向かってるって、私にとってはかなりきつい環境でした。

・某コピー機メーカー  庶務 派遣社員 
   周りの方々は皆有名大学出身!でも紅一点だったから、とっても大事にされて楽しい職場でした。

・某財団法人で講座運営 臨時職員→庶務 パート
   「起業家育成講座」「コミュニティビジネス担い手育成講座」等の運営・雑務。
      ↓
   中小企業への設備資金貸与をしている課へ移動。 お飾りで持っていた簿記の資格をはじめて実践で活用!


上記以外にも、学生時代には色々なバイトをしました。様々な職種を色んな立場で経験できたのは、私の財産です。 
 



【趣味】

私の趣味は旅行。

結婚前は、世界各国飛び回っていました。・・・って言っても別に客室乗務員や添乗員だった訳ではなく、単なる趣味で! 仕事のストレスが、120%溜まってもう限界!!!ってなると海外に逃亡。そして、戻ってきてまた働く。またまた、ストレス満タンになって国外脱出。そんな繰り返しでした。。。

今から思うと『転地療法』だったのかもしれませんが、そんなんじゃ間に合わない程私の体はぼろぼろで、結局ガンになって初めて
自分自身をいたわってなかった事に気づいたんです。

行った場所はこんな感じ↓

【海外編】

■スウェーデン(ストックホルム)■ドイツ(ベルリン、あと何箇所か行ったなぁ)■イギリス(ロンドン、オックスフォード)■イタリア(ローマ、フィレンツェ)■バチカン■アメリカ(ハワイ、ロサンゼルス)■グアム■サイパン■サモア■タヒチ(パペーテ、モーレア島)■チリ(イースター島、サンティアゴ、プエルトモン、バルパライソ、チロエ島)■アルゼンチン(ウシュアイア、ブエノスアイレス)■ブラジル(サンパウロ)■ナミビア(ウォルビスベイ)■南アフリカ共和国(ケープタウン)■ケニア(モンバサ)■セイシェル■モルディブ(ナカチャフシ、メドゥフシ、マーレ)■スリランカ(ニゴンボ、コロンボ、ヒッカドゥワ、ポロンナルワ、シーギリア、キャンディ、アヌラダプラ)■インド(ムンバイ、バンガロール、ベナレス、カルカッタ、ミティゲナハリ、エレファンタ島)■タイ(バンコク、チェンマイ、アユタヤ)■マレーシア(クアラルンプール)■シンガポール■ベトナム(ダナン)■香港■韓国(ソウル)■オーストラリア(ゴールドコースト、シドニー、メルボルン、アデレード、アリススプリングス、ウルル、キング島)

 

【国内編】

北海道, 宮城県, 群馬県, 栃木県, 茨城県, 千葉県, 埼玉県, 東京都, 神奈川県, 静岡県, 山梨県, 長野県, 新潟県, 富山県, 石川県, 福井県, 滋賀県, 岐阜県, 愛知県, 三重県, 奈良県, 和歌山県, 大阪府, 京都府, 兵庫県, 岡山県,  島根県, 広島県, 山口県, 香川県, 徳島県, 愛媛県,高知県, 福岡県, 佐賀県, 長崎県, 大分県, 宮崎県, 熊本県, 沖縄県

行ってないのは、
青森県, 秋田県, 岩手県, 山形県, 福島県, 鳥取県, 鹿児島県の7県!

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